フライドポテトの歴史は?
下記の記事で、ベルギーではフライドポテトがいわゆるソウルフードとして国民に愛されていることや、ベルギーで食べるフライドポテトが美味しい3つの秘密について書きました。
ところで、ベルギーの国民食として愛されているフライドポテトですが、日本を含め多くの国では「フレンチフライ(French Fries)」という名前で普及しているのが現状です。そのため、フライドポテトの起源はフランスだと思っている方も多いのではないでしょうか。
*ちなみに、ベルギーではメニューにフレンチフライという言葉はありません。一番多い呼び方は、フリッツ(フランス語=Friets、オランダ語=Frites) またはベルジャンフライ (Belgian Fries)といった名前で呼ばれています。
なぜ、ベルギー生まれの食べ物がフレンチフライと呼ばれるようになったのでしょうか?以下で、ベルギーでも議論が交わされている二つの説について書いてみたいと思います。
ベルギー・ナミュール生まれ説
フライドポテトの起源は、ベルギー南部のナミュールという説が広く伝わっています。このナミュールはフランス語圏であり、人々はフランス語を話します(ベルギーには3つの公用語があります)。

ナミュールの中心部を流れるムーズ川。城壁(シタデル)に登り、街並みを見渡せます。
第一次世界大戦時に駐屯していたアメリカ兵士達が、この現地の食べ物を「フレンチフライ」と呼んだことが始まりです。つまり、フレンチは「フランスの」ではなく「フランス語圏」のという意味だったのです。
ナミュールでフライドポテトが生まれたきっかけにも諸説ありますが、一番有力と言われているのがこちらです。ムーズ川が流れるナミュールでは、人々は川魚を揚げたものを日常的に食べていました。ところが1680年の冬は厳しく、川の水が全て凍ってしまったそうです。魚が獲れないために困った住民達は、魚の代わりにジャガイモの揚げることで飢えをしのぎました。これがフライドポテトの始まりとなり、各地に広まっていったということです。
反論の数々
一見もっともらしい「ナミュール起源説」ですが、この伝承に反論するのが、リエージュ(こちらもナミュールの近くにあるフランス語圏の都市です)のPierre Leclercq教授。彼はこちらの記事で異論を唱えています。
歴史学者であるLeclercq教授は、ナミュールにジャガイモが広まったのが少なくとも1735年以降であることから、1680年のナミュールでフライドポテトを作ることは不可能だったと主張しています。
また、仮に1680年にナミュールにジャガイモが存在していたとしても、バター、動物性油脂、植物性油脂はどれも貴重品だったため、「揚げる」という調理法はまずとられなかったとのことです。
また、フランスでもナミュール起源への反論が起こっています。フライドポテトを発明したのは、フランス最古の橋であるパリのポン・ヌフのたもとにあった屋台が起源であると主張しているのです。そのため、フランスには今でもポン・ヌフという名前のフライドポテトのお店があり、パリで生まれた製法であることを主張しています。
初めて印刷物に書かれたのはベルギー

ポテト自体の味を引き立てる牛脂を利用するのがベルギー流。健康志向の家では、牛脂を使わずフライドポテト専用オイルも使います。
まず、1861年にベルギーで出版された本「Economie Dulinaire」では、ポテトを細長くカットして油で揚げるという方法が初めて記載されました。
また、20世紀初めに出版されたベルギーの「Traité d’économie domestique et d’hygiène」によると、ベルギーのフライドポテトの美味しさの秘密である二度揚げの手法などが、すでにこの時点で確立されていることがわかりました。
そのため、本来の起源はわからなくても、当時のベルギーでは調理法が出版されるほど普及していたと言えるでしょう。
ベルギーにある、フライドポテトの博物館へ
上記のようなフライドポテトの起源にまつわる諸説や、フライドポテトのパッケージのデザインの変遷など、もっと詳しくフライドポテトのことを知りたい方には、ブリュッセルとブルージュにある、フライドポテト専門の博物館がおすすめです。
ブリュッセルの博物館は、宿泊もできます!